学校の歴史

1859年7月 横浜開港。
1895年10月 孫中山先生が横浜興中会を創立し、さらに華僑学校の創立を提唱。
1898年2月 横浜大同学校が正式に開校し、初代校長には康有為一門の徐勤が就任。ここでは広東語による授業が行われ、世界中の近代華僑教育の先駆けとなる。日本の政治家犬養毅が名誉校長に就任。
1898年 ▶1898年 ▼
1911年3月 清朝宣統帝が横浜大同学校に「育学広才」の扁額を下賜した。
1913年3月 孫中山が来日し、横浜華僑学校に「為国育才」の扁額を贈った。
1923年9月 関東大震災により、横浜大同学校、華僑学校、中華学校の三校とも全壊。
1924年1月 三校が新山下に「広東小学校」を共同設立。
1924年9月 「広東小学校」が山下町関帝廟の地に戻り、校名を「中華公立学堂」とした。
1924年 ▶1924年 ▼
1926年10月 新校舎が落成し、校名を「横浜中華公立学校」と改め、呉肇揚が校長に就任。
1945年5月 米軍の大空襲に遭い、校舎は廃墟と化した。
1946年9月 新校舎が落成し、校名を「横浜中華小学校」と改め、標準語(北京語)による授業を開始。
1947年9月 「幼稚園」 及び「中学部」を増設し「横浜中華学校」と改名。
1948年9月 「成人クラス」及び「児童クラス」を増設し、生徒数は1000名余りに達する。
1949年 ▶1949年 ▼
1951年5月 「横浜中華学校校友会」創立。
1952年9月 人災により学校は分裂に追い込まれ、暫時多数の僑胞の家に分散して授業を行う。
1953年9月 山手町に臨時校舎建設。校名を「横浜中華学校山手臨時校舎」とし、600名余りの生徒がここに移転して授業を続けた。
1953年 ▶1953年 ▼
1957年3月 山手町の臨時校舎を「横浜山手中華学校」と改名。
1959年4月 横浜山手中華学校の校章及び校歌を定める。
1966年5月 地上5階建て鉄筋コンクリート造の校舎が落成。
1966年12月 神奈川県の認可を受け、「学校法人 横浜山手中華学園」となる。また、学園理事会が発足し、初代理事長に李天図が就任。
1966年 ▶1966年 ▼
1967年4月 高等部を増設。
1982年3月 高等部を廃止し、幼稚部、小学部、中学部の教育に重点を置く。
1983年4月 中国からの教師招聘を再開。
1993年4月 教育改革に着手。
1994年9月 コンピュータ教室を設置。
1998年8月 学校創立百周年の祝賀行事を行う。
2008年5月 胡錦涛国家主席が本校を訪問。
2010年4月 吉浜町に新校舎を建設し移転。「熊猫(パンダ)幼稚園」設立。
2010年 ▶2010年 ▼
2018年9月 創立120周年記念行事を開催。
2018年 ▶2018年 ▼
2023年1月 「餃子で作った最大の言葉」がギネス世界記録に認定される。
2023年 ▶2023年 ▼